【ジャック・マー】逆境から世界的企業へ――アリババの創業エピソード

【ジャック・マー】逆境から世界的企業へ――アリババの創業エピソード

中国の巨大IT企業「アリババグループ(阿里巴巴集団)」。その創業者ジャック・マー(馬 雲)は、元英語教師から数々の困難を乗り越えてこの企業をゼロから立ち上げました。本記事では、アリババグループとはどんな会社なのか、創業者ジャック・マーの生い立ちや価値観、そしてアリババ誕生の経緯と創業当初の様子について詳しくご紹介します。

アリババグループとは

アリババグループは中国を代表する多国籍テクノロジー企業で、主にEコマース(電子商取引)事業で知られています。

1999年に浙江省杭州で創業され、消費者間(C2C)から企業間(B2B)の取り引きまで、様々なオンライン市場を運営。小売、インターネットサービス、クラウドコンピューティングなど幅広い分野に事業を拡大しています。

同社は世界最大級のオンラインマーケットプレイス(B2Bの「Alibaba.com」、C2Cの「淘宝(タオバオ)」、B2Cの「天猫(Tmall)」など)を擁し、フィンテック部門の「アント・グループ(支付宝/Alipay)」を通じて金融サービス分野でも巨大な影響力を持っています。

2014年にはニューヨーク証券取引所への新規株式公開(IPO)で約250億ドルを調達し、当時世界史上最大のIPOとなりました。現在アリババグループは中国の電子商取引市場を支配するだけでなく、世界の小売業界においてもトップクラスの企業価値と影響力を誇っています。

アリババグループの創業者:ジャック・マー

生い立ち

ジャック・マー・ユン(馬雲、Ma Yun)は1964年に中国浙江省杭州市で生まれました。

幼い頃から英語に強い興味を抱き、12歳の時に購入したポケットラジオで英語のラジオを聞き続け、中学生になると杭州国際ホテルによく泊まる観光客たちとの会話したり、杭州で外国人向けのツアーガイドとして働くために毎日自転車で約27km走りました。

そのうち外国人の一人と文通するようになり、中国語の名前の発音が難しいことから、英語名の「ジャック」というあだ名をつけられました。

気性は荒く喧嘩ばかりしていたため、13歳の時に杭州第八中学校に転校させられています。

学業

学業成績は決して優秀ではなく、中国の高校入学試験で数学の点数が31点しか取れなかったため、高校に入学するまでに2年かかっています。さらに大学入試では数学でわずか1点しか取れず不合格となり、近くのホテルのウェイターに応募したものの、「痩せすぎ、背が低すぎ、全体的に体型が悪く、レストランのイメージを損ない、評判を落とす可能性がある」という理由で不採用となっています。

1983年、2度目の大学入試も不合格となり、家族は別の職業に就くことを望みましたが、ジャックは高等教育を受ける決意を崩さず、翌1984年、3度目の大学入試で苦手だった数学で89点を獲得。これは入学資格の標準最低基準を5点下回っていたものの、定員割れでなんとか合格。杭州師範大学英文学科へと進学します。

大学に入学後、ジャックの学業成績は飛躍的に向上し、学部課程を通して着実に優秀な成績を収めました。その目覚ましい学業成績が認められ、幼少期より磨いてきた高度な英語力により、杭州師範大学外国語学科で常に上位5位以内にランクインするなど、学業成績においても際立った存在となります。学生会会長にも選出され、後に杭州市学生連合会会長に就任し、2期にわたりその職を務めました。

ちなみに、ジャックはハーバード・ビジネス・スクールに10回連続で応募したものの、毎回不合格になったと語っています。

就活

1988年、英語学の学士号を取得。卒業後、地元の求人に30社以上応募しましたがことごとく不採用となり、中でもファストフードチェーンのKFCでは応募者24人中23人が採用され、落とされたのは自分だけだったと語っています。

その後、杭州典子大学で英語と国際貿易の講師に就任。月収わずか100元程度(約12ドル)でしたが、更なる挑戦心を抱いていました。

インターネットとの出会い

1994年、最初の会社である杭州海波翻訳社という翻訳会社を設立。1995年初頭、通訳の仕事でアメリカに渡航しました。

中国は国家が情報を統制するという方針からインターネットの解禁が遅く、ジャックはここで初めてインターネットの存在を知ります。

ネット上にはビールに関する情報は多くの国で見つかったものの、中国のビールに関する情報は全く見つからず驚いたといいます。また、中国に関する一般的な情報を検索しても全く見つからず、中国に関するウェブサイトの欠如を痛感します。

そこでジャックは友人とともに、中国のビールに関する情報を扱うウェブサイトを作成しました。見た目はガタガタでしたが、ウェブサイト公開後3時間程度で、ジャック自身とウェブサイトについてもっと知りたいという中国の投資家たちからのメールが届きました。

中国イエローページ

これをきっかけにジャックはインターネットには大きな可能性があると確信。帰国後の1995年4月、ジャックは早速仲間と共に中国初のオンライン企業名鑑とも言える「中国イエローページ(中国黄頁)」を立ち上げます。

サービスを初めた3か月後には上海でSNSが解禁されたこともあり、ジャックのサイトにも注文が殺到。3年間で約500万人民元の利益を上げました。これは当時の価値で64万2998米ドル(現在の価値で約118万ドル)に相当します。

徐々に国の仕事まで請け負うほどに成長を遂げたイエローページでしたが、大企業に買収されてしまいます。

アリババ誕生の経緯

アリババ十八羅漢

1998年から1999年にかけて、ジャックは政府機関の中国対外経済貿易合作部(中華人民共和国商務部の前身)の下部組織である中国国際電子商務中心に所属し、同部公式サイトおよび同国インターネット商品取引市場を開発。

1999年に辞職してチームと共に杭州に戻り、ジャック自身を含む18人で、自宅アパートで杭州を拠点とするB2Bマーケットプレイスサイト「アリババ」を創業します。この創業メンバーの18人は「アリババ十八羅漢」と呼ばれています。

その中には妻のチャン・イン(張瑛)氏や、ジャックが教師時代に教えた教え子、旧友、元同僚など、ジャックの人柄とビジョンに共鳴した人々が名を連ねました。なお、この時の資本金は50万元だったといいます。

社名「アリババ」は、世界中で親しまれている中東の民話『アリババと40人の盗賊』に由来します。

アリババの躍進

アリババ創業当初のビジネスモデルは、インターネット上の企業間取引(B2B)マーケットプレイスの提供でした。中国の中小企業が自社の商品情報を英語で掲載し、世界中のバイヤーがそれを直接閲覧して取引できるオンラインプラットフォームを目指したのです。

これは、海外に販路を持たない無数の中国企業にとって、自社製品をグローバル市場に売り込むための画期的な「場」となりました。

当時、中国は将来的な世界貿易機関(WTO)加盟を控えており、国内の中小企業が国際競争に適応し世界へ打って出るためにはインターネットを活用した新たなプラットフォームが必要だという意識がジャックにはありました。まさにその課題に応える形で生まれたのがアリババでした。

創業時、ジャック自身はエンジニアでも経営の専門家でもありませんでしたが、「自ら学び、学習意欲のある人材を集めれば道は開ける」と信じていました。

創業メンバーには技術者やビジネスのプロも加わり、各自が試行錯誤しながらサービスを形にしていきました。創業当初は決して順風満帆ではなく、サービスを安定させ利用企業を集めるまでには苦労も多かったものの、ジャック率いるチームは「絶対にあきらめない」という信条で一丸となり困難を乗り越えていきました。

創業資金の調達方法

アリババ立ち上げ時の資金は潤沢ではありませんでしたが、ジャックとその仲間たちは手元資金を持ち寄って運転資金を確保しました。報道によれば、創業当初に彼らが用意した自己資金は約50万人民元(当時のレートで約7万5千ドル相当)に過ぎなかったといいます。

このように限られた資金で事業を開始したアリババでしたが、その潜在力に早くも注目が集まり、創業から間もない1999年10月にはアメリカの投資銀行ゴールドマン・サックスから500万ドル、さらに翌2000年初頭には日本のソフトバンクグループから2000万ドルの出資を獲得しています。

ソフトバンクの孫正義はジャックとの会談でわずか数分で出資を決断したとも言われており、ジャックは必要以上の資金は会社にとって不利になり得るとして当初2000万ドルのみを受け入れたといいます。

これらの巨額のベンチャー資金は、当時まだ収益化途上にあったアリババにとって大きな後押しとなり、インターネット決済システムの整備やプラットフォームの改良、人材採用など事業拡大に充てられました。

まとめ

ジャック・マーの成功には幼い頃から磨き続けてきた「英語」が深く関わっていると言えるでしょう。なぜ幼少期からそこまで熱心に英語に取り組んできたのかは定かではありませんが、英語そのものというより、英語圏の世界観や価値観に深い興味を持っていたのかもしれません。

学習方法にしても自宅で参考書を読むようなガリ勉スタイルではなく、英語を話す観光客と話したり、観光客のツアーガイドをしたりと、実践的に英語を身に着けようとしているのが特徴的です。

アメリカへの渡航はわざわざ計画して行ったわけではなく、仕事の一環として機会に恵まれた結果ですが、幼いころから英語を学び、英語圏の人たちと積極的に接していたジャックが翻訳会社を作ったのは、こういった機会を得ようという考えもあったのかもしれません。

ひととおり調べて思ったのは、我々日本人が、中国で生まれ育ったジャック・マーの人生計画を推察することはかなり難しいです。国家の仕組みやその基となる思想、さらには西側諸国との関係性が、日本と中国ではあまりにもかけ離れているからです。

そのためどこまでがジャックの計画で、どこからが偶然の産物なのか、推し測るのは困難です。

しかしながら、ジャックの成功の裏側に、

  • 外の世界への興味・関心
  • 見知らぬ人と積極的に話す外向性
  • 勉強が苦手でありながらも大学入試を続けた学業・あるいは学歴への執念
  • インターネットという新しい技術に対する積極的な姿勢

これらがあったのは間違いない、といっていいでしょう。

どれか1つでも欠けていたら、ジャック・マーの成功、そして今のアリババグループは存在しなかったはずです。

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