書籍販売から世界最大のマーケットプレイスへ――Amazonの創業エピソード

書籍販売から世界最大のマーケットプレイスへ――Amazonの創業エピソード

今日、Amazonは「なんでもそろうオンラインショッピングサイト」として知られています。書籍販売から始まり、今や食品、家電、さらにはクラウドコンピューティングやAI開発にまで事業を広げています。しかし、この巨大企業もスタートは小さなものでした。

1994年、ジェフ・ベゾスという一人の起業家がアメリカの自宅ガレージで立ち上げたこの会社は、どのようにして成功への道を切り開いたのでしょうか。今回は、Amazonの創業秘話を詳しく掘り下げ、そのゼロイチストーリーをお届けします。

Amazonはどんな会社か

Amazonは、1994年に設立されたアメリカ発の多国籍企業で、当初はオンライン書籍販売を目的としてスタートしました。

現在では、商品を購入・販売できるマーケットプレイスだけでなく、Amazon Primeによる動画配信サービスや、Kindleなどのデバイス製造、さらにはAmazon Web Services (AWS) を通じたクラウドサービス提供など、多岐にわたる事業を展開しています。

その企業ミッションは、「地球上で最もお客様を大切にする企業になること」であり、顧客体験の向上を常に追求しています。

Amazonの創業者:ジェフ・ベゾス

生い立ちと幼少期

ジェフ・ベゾスは、1964年1月12日、アメリカ・ニューメキシコ州アルバカーキで生まれました。

ジェフが生まれたとき、母ジャックリンは17歳の高校生であり、父のテッドはバイクショップのオーナーでした。ほどなく母はテッドと離婚し、キューバ出身の移民であるミゲル・マイク・ベゾスと再婚。ジェフも義父の姓を名乗るようになりました。

再婚はジェフが4歳のときで、このときから家族はより安定した生活を送るようになります。義父のマイクはニューメキシコ大学を卒業後に石油会社のエクソンでエンジニアとして働いており、その影響からかベゾスは幼いころから科学や工作に関心を持つようになります。

工作をする際、電動のアラームを仕掛けて弟たちを部屋に入れないようにしていたほど熱中していたほどです。

学生時代

高校時代はマクドナルドでアルバイトをし、簡単な調理を担当していましたが、ただ単にシフトをこなすだけではなく、マクドナルドの自動調理システムについて洞察したり、マネージャーの仕事を観察していました。

また、フロリダ大学で開催された科学の生徒研修プログラムに参加するなど、精力的に活動しつつ、当時黎明期だったコンピュータにも興味を持ち始めました。

卒業時には卒業生総代を務め、ナショナル・メリット・スカラーシップ、シルバー・ナイト賞を獲得しています。

卒業後はプリンストン大学に進学、当初は物理学者となることを目指していましたが、量子力学の偏微分方程式の問題を理解できず、クラスメイトに代わりに解いてもらったときにその夢をあきらめたと述懐しています。

その後すぐに電気工学とコンピュータサイエンスに専攻を変え、学位を取得しています。

全米最古の学生クラブであるファイ・ベータ・カッパのメンバーでもあり、優秀な工学徒としてタウ・ベータ・パイにも選出、宇宙探査・開発のための学生組織のプリンストン支部長にもなっていました。

キャリアのスタート

プリンストン大学を卒業後、ベゾスすぐにキャリアをスタートさせます。インテル、ベル研究所、アーサー・アンダーセンなどからオファーを受けながらも、彼が最初に就職したのは金融決済システムを手がけるスタートアップ企業のFitelで、貿易情報のネットワーク構築に従事。1~2年という短期間で開発部門と顧客サービスの責任者に昇進しています。

その後、大手金融サービス会社バンカース・トラストでプロダクト・マネージャーとなり、銀行業界を経て投資会社D.E.ショーに入社、わずか2年でシニア・バイス・プレジデント(副社長)になりました。

インターネットとの出会いと起業の決意

1990年代初頭、D.E.ショー在籍時に、インターネット利用者数が年率2300%で成長しているというデータに触れたベゾスは、その成長可能性に衝撃を受けます。「インターネットを活用すれば、全く新しいビジネスが生まれる」と確信した彼は、オンラインで商品を販売するビジネスモデルを模索し始めました。

「書籍」を選んだ理由は、品数が膨大であるため物理的店舗では扱いきれないこと、在庫管理が容易で物流コストが低いことなどが理由でした。こうして、「世界最大のオンライン書店」を目指す構想が形を成していきました。

1994年、安定した高収入の職を辞めたベゾスは、シアトルに移り、自宅のガレージでAmazonを立ち上げます。この決断はリスクの高いものでしたが、彼は「後悔最小化フレームワーク」という独自の思考法を用いて決断を後押ししました。彼は「80歳になったとき、やらなかった後悔よりも挑戦した経験を誇りに思えるかどうか」を基準に考え、起業を選んだのです。

Amazonはどうやって生まれたのか

1994年、ベゾスは安定した職を辞め、シアトルに移り、自宅ガレージでAmazonを立ち上げました。会社名は、世界で最も大きな川である「アマゾン川」に由来し、「世界最大規模の品揃えを目指す」という思いが込められています。

1995年、Amazonは正式にオンライン書店としてスタートし、初めての注文を受けます。この当時、商品は郵便で発送され、注文が入るたびに倉庫から取り寄せて発送するという、非常に地道な作業からのスタートでした。しかし、彼は顧客満足を最優先に考え、迅速かつ丁寧な対応を心がけました。

初年度の売上は予想を大きく上回り、すぐに書籍以外の商品も取り扱うようになります。Amazonはこうして、単なる書籍販売サイトから「何でも買えるオンラインストア」へと進化していきました。

創業資金をどうやって用意したのか

Amazonが創業当初から成功への道を切り開くためには、アイデアや技術だけでなく、初期資金の調達が不可欠でした。ジェフ・ベゾスは、どのようにしてその資金を手に入れたのでしょうか?

自分の貯金を元手にした

ジェフ・ベゾスはAmazonを創業するにあたり、まず自身の貯金を元手として事業をスタートしました。

彼はウォール街での高収入なキャリアを活かし、一定の資金を蓄えていました。ベゾスはその資金を、自宅ガレージでのオフィス設置や初期の設備、ウェブサイト開発に充てました。

両親からの多額の支援

Amazonの創業資金で特に注目すべきなのは、ベゾスの両親からの支援です。ベゾスの両親は息子のビジョンに深く共感し、退職金を取り崩して約24万5000ドルを投資しました。この金額は、Amazonの初期運営を支える大きな資金となり、事業が軌道に乗るまでの重要な基盤となりました。

当時の投資はリスクが高く、事業が失敗すれば投資額を失う可能性もありました。しかし、ベゾスの両親はそのリスクを承知の上で支援を決断したのです。

エンジェル投資家による支援

ベゾスは親族だけでなく、D.E.ショー時代の人脈を活用してエンジェル投資家からも資金を調達しました。当時、彼はインターネットの急成長とオンラインビジネスの潜在的な可能性を投資家に説き、賛同を得ることに成功します。

その中にはトム・アルバーグなどテクノロジー業界で名の知れた人物もいました。これらの投資家たちの支援が、初期段階の事業拡大に大きく貢献しました。

自己資本と外部資金のバランス

Amazonは設立当初、自己資本と外部資金をバランスよく組み合わせて事業を進めていました。自己資本としては、ベゾス自身の貯金と両親からの支援を活用し、外部資金としてエンジェル投資家からの小口投資を受けることでリスク分散を図りました。この柔軟な資金運用が、初期の運転資金の確保に大きく寄与しました。

IPOによる資金調達の成功

1997年、Amazonは株式公開(IPO)を果たします。このタイミングでのIPOは、創業からわずか3年という短期間で実現されたものであり、インターネット業界の成長を背景にAmazonの評価が急上昇した結果です。

IPOにより5400万ドル以上の資金を調達し、事業拡大のための財務基盤をさらに強化しました。この資金が、新たな商品カテゴリーの追加や物流ネットワークの拡大に充てられました。

成功への道のりとAmazonの革新

Amazonの成功の鍵は、徹底した顧客第一主義と革新性にあります。1999年に特許を取得した「ワンクリック注文」機能や、商品のレビュー機能など、顧客の利便性を追求したアイデアは他社との差別化に大きく寄与しました。また、大規模な倉庫ネットワークの構築と物流システムの効率化により、迅速な配送を実現しました。

さらに、ベゾスは短期的な利益を追求せず、長期的な成長に向けて収益を再投資する方針を貫きました。この姿勢が競争の激しい市場での地位を確立する原動力となりました。

まとめ

ジェフ・ベゾスによるAmazon創業のエピソードには、私たち起業家のヒントとなる点がいくつも見受けられます。

  • 後悔最小化のフレームワーク(将来後悔しないであろう方を選ぶ)
  • 当時黎明期だったインターネットを活用した創業に賭けた思い切りの良さ
  • 自身でAmazonが潰れたり自分が破産する可能性が70%ほどあると言いながらも、資金をかき集めてAmazonの成長に賭けた勇気
  • マクドナルドを見習い、差別化よりもブランドネームの構築と市場シェアを優先した戦略
  • 短期的な利益をすべて放棄してAmazonの成長に投資し続ける長期的な視点

これらは一見リスク過多に思える挑戦的な選択ですが、大きなことを成そうと思えば相応のリスクを積極的に取っていく必要があることを物語っています。

しかしこれも、彼の「後悔最小化のフレームワーク」に当てはめてみれば、「挑戦しないことの方がリスク」と捉えることができるのかもしれません。

いずれにせよ、私たちは起業しようという時点で普通の人よりも多くのリスクを背負っているのです。どのみち自分が求めるリターンに見合うだけのリスクを取る必要はあるでしょう。

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