サイバーエージェントの創業エピソード――若き営業職の野心

サイバーエージェントの創業エピソード――若き営業職の野心

インターネット黎明期、一握りの起業家が新たな可能性を信じ、大胆な一歩を踏み出しました。その中でも、藤田晋氏の情熱とマンパワーで誕生した「サイバーエージェント」は、今や日本を代表するインターネット企業として、多彩な事業領域で革新を続けています。

この記事では、サイバーエージェントがどのような会社で、どのような背景と経緯のもとに生まれ、藤田氏がどのようにして創業資金を調達し、企業として成長を遂げたのかを詳しくご紹介します。

サイバーエージェントはどんな会社か

サイバーエージェントは、インターネット広告、デジタルメディア、ゲーム事業など、デジタルコンテンツを中心とした多角的な事業展開を行う日本の大手インターネット企業です。

その革新的なマーケティング手法や、時代のニーズを先取りするビジネスモデルは、多くの企業やクリエイターに影響を与え、日本国内外で高い評価を受けています。

また、急速に変化するデジタル市場に柔軟に対応するため、常に新たな挑戦を続け、業界全体の進化を牽引する存在として位置付けられています。

サイバーエージェントの創業者

サイバーエージェントの創業者は、藤田晋です。藤田は若くしてインターネットの可能性に気づき、その野心と情熱で果敢に行動を起こしました。

そのガッツと尋常ならざる体力、常にチャレンジを恐れない勇猛果敢な姿勢は、後に数々の事業成功へとつながり、サイバーエージェントをデジタル業界のリーディングカンパニーへと押し上げました。

生い立ち

藤田は1973年、福井県鯖江市に生まれました。父親は大手企業(カネボウ)勤務のサラリーマンで、その父を反面教師として起業家を志します。実際のインタビューでは「サラリーマンという職種がどうしてもカッコイイと思えなかった。」とも語っています。

小学校時代の夢は作家。中学校では生徒会長を務め、当時から人前に立ったり、リーダーシップを発揮する役職を好みました。

高校時代は真剣にミュージシャンを目指し、「将来レコード会社を作ってみんなをデビューさせてやる」と吹聴し、ロックバンドの仲間たちを牽引していました。しかし高校3年頃、自身の音楽的才能に疑問を抱き断念。実業の道を志し始めたのもちょうど同時期のことでした。

高校卒業までを鯖江で過ごし、福井県立武生高等学校を卒業した後、上京し、青山学院大学経営学部へ進学します。

大学時代と麻雀

大学時代は軟派なイベントサークルに入り、青春を謳歌しました。また、小学生時代に友達の親から教わった麻雀は、大学時代に至るまでのめり込んでおり、大学入学後すぐに桜井章一率いる雀鬼会に通い、厚木のフリー雀荘で働くまで1年半にわたって通い続けていました。

月に2~300半荘打ちこみ、一時はプロを目指したほどの腕前で、「ビジネスで大事なことの非常に多くのことを麻雀を通じて学んだ」とも話しています。

実際、2014年12月には麻雀最強戦に優勝し、最強位となります。さらに2016年には「RTD inc.」のプロデュースのもと、AbemaTVにおいて「藤田晋invitational RTDリーグ」を開催するなど、経営者になった後も麻雀への情熱は薄れず、その腕前は確かなようです。

就職、営業マンとして

大学卒業後は、従業員数120名の人材総合サービス会社インテリジェンス(現在のパーソルキャリア)へ就職します。

在籍したのはたったの1年でしたが、当時の働きぶりは語り草となっており、当時の上司によると、

  • 人の3倍くらいは働いていた
  • 朝5時には出社していた
  • 5カ月目で、2年目3年目の社員と同等以上の成績をあげていた
  • 売り上げは同期の新入社員の4倍

など、若さを差し引いてもとんでもない体力お化けであったこと、そして単に実績をあげるだけでなく、自らの働きぶりが社内から評価されるようなアピールも怠らなかったことが見てとれます。

その営業能力の高さと無尽蔵な体力から、当時複数の取引先からヘッドハンティングを持ち掛けられたといいます。

サイバーエージェントはどういう経緯で生まれたのか

サイバーエージェントの設立

1998年3月、藤田は勤務先のインテリジェンスの社長・宇野康秀から700万円の出資を受け、同期の日高裕介とともに株式会社サイバーエージェントを設立。業務内容はインターネット関連の営業代行。

4月にはバリュークリック社の広告営業代理業務を開始。このバリュークリック社の営業代行をするうちに、クリック保証広告の営業代行を任されます。

※クリック保証型広告とは:当時、インターネット広告はただ掲載するだけで〇〇円という、新聞やテレビと同じ料金体系が主流でした。これに対し、ユーザーが広告をクリックした時のみ報酬が発生するのがクリック保証型広告。企業からは費用対効果がわかりやすいと評判でした。

後年、藤田は自身のブログにて「バリュークリックジャパンと出会ったから、会社設立の間もない時期にネット広告事業を展開できたと思います。」と記しています。

オン・ザ・エッヂとの協業

クリック保証型広告に可能性を見出した藤田は、自社でもこのサービスを作って販売することを決定します。しかし藤田・日高は営業であり、プログラミングができなかったため、東工大の院生をアルバイトで雇って作らせたものの、作れませんでした。

「cyberclick!(サイバークリック)」という名称で、既に何社か契約まで進めていた藤田は焦り、かつてインテリジェンスの取引先として出会ったオン・ザ・エッヂを思い出し、急遽連絡します。オン・ザ・エッヂはあの堀江貴文が社長を務める会社です。

堀江は藤田が送ってきた怪しげなメールの文面に戸惑いを覚えつつも、何か感じるものがあり、この件を快諾。3週間という短い期間の中でフロントエンド(ユーザーが目にする部分)だけを作り、バックエンド(裏側の処理)を手動で行うことで、どうにかcyberclick!(サイバークリック)の売り出しに間に合わせたと、後年語っています。

※コピー機で例えるなら、紙を置く部分や料金投入部分だけ作成し、実際のコピーは中に入っている人が手動でやっているような状態です。

同年10月、藤田は再びオン・ザ・エッヂとの協業で、クリック保証型メール広告ネットワーク「クリックインカム(後のmelma!)」の営業を開始。こちらはメールマガジンにクリック保証型広告を付けるシステムです。

これらはレベニューシェアといって、受注側と発注側で利益を分配する契約となっており、初期のサイバーエージェントはこのようにオン・ザ・エッヂに開発を依頼し、サイバーエージェントがそれを売ることで成り立っていました。

上場

1999年春、アメリカのネット関連の株価が突如高騰をはじめます。後に語られるインターネット・バブル(ドットコム・バブル)です。これをきっかけに日本でもインターネットビジネスが注目されるようになったこともあり、サイバーエージェントは時代の波に乗り大きく売り上げを増大させていきます。

11月、再びオン・ザ・エッヂと共同で、無料ホームページサービス「HOOPS!」を行う株式会社フープスを設立。同月、インターネットでの通信販売業を行う株式会社ネットプライス(現:BEENOS株式会社)を設立。

そして2000年3月、サイバーエージェントは東証マザーズ市場に上場を果たし、藤田は独立系企業として史上最年少の上場企業の社長となりました。

インターネット・バブルの崩壊

26歳にして300億円以上の資産を手にした藤田でしたが、直後からインターネットバブルの崩壊が始まり、その後株価はなかなか高値を更新しない状況が続きます。

投資家は激怒し、それまで取材に熱心だったメディアも掌を返してインターネット企業を叩くようになり、業務提携も断られるようになり、内定が決まっていた採用までもが辞退されていく…という踏んだり蹴ったりの状況が続きます。

インターネット関連事業は、虚業などと呼ばれ、マスメディアの玩具にされました。

※実際この時のサイバーエージェントは単なる営業代行の感が強く、自分たちで何か作り上げていたわけではないため、当たらずとも遠からず、という感は否めませんが、それを言ってしまえば、世界最多を誇るの日本の人売り会社の方がよほど虚業でしょう。

インターネット関連会社冬の時代

この後、インターネット・バブルの崩壊をきっかけとして、経済全体が不況に入り、サイバーエージェントもつらい時代に突入します。

2001年9月、株式会社フープスを楽天に売却。11月、株式会社サイバーブレインズ(現: 楽天リサーチ株式会社)と資本業務提携し、関連会社化。

その後サイバーエージェントが成功した企業として世間に知られるようになるのは、2004年9月のアメーバブログ(現:Ameba)サービス開始からでしょうか。

とはいえ、「創業エピソード」としてはここまでで十分かと思いますので、ゼロエピの記事はここで筆を置きたいと思います。

創業資金をどうやって用意したのか

サイバーエージェントの設立資金は、藤田が新卒で勤務していたインテリジェンスの社長・宇野康秀からの出資です。

これは藤田が新卒でありながらあっという間に社内トップの営業成績をたたき出したこと、そしてその働きぶりが社内からきちんと見えるように振舞っていたことが大きな要因でしょう。

藤田は当時のIT起業家の中でも、起業すること、自分の会社を持つことそのものに強い熱意を持っており、取引先の会社からも多数ヘッドハンティングを受けるほどの有望株だったため、下手に手放すくらいなら出資しておこう、となったのでしょう。

入社早々で最高成績を叩き出して周囲からの評価を得る、というのは万人にできることではありませんが、誰しもが挑戦できることでもあります。

新社会人や20代前半くらいの若き起業家志望者は、まずはその会社で圧倒的な好成績を叩き出せるよう、1~2年仕事に打ち込んでみることが、チャンスを手繰り寄せるかもしれません。

まとめ

サイバーエージェントは営業に命をかけた若者が、そのガッツと無尽蔵の体力をすべて仕事に注ぎ込み、その実績を以て創業に至った企業です。

IT系のイメージが強いですが、創業当初はツールなどの営業代行をしていただけで、創業者はプログラミングもできません。しかし、時流に乗ったIT関連のツールの営業代行をすることで、単なる営業職でありながら、ITバブルの恩恵を強く受けることができました。

このエピソードからは、やはり営業こそがビジネスの原点であり、あらゆる応用が利くスキルであることが見てとれます。藤田の強みは営業スキルであり、時代がITでなく工業の時代なら、部品の営業代行でも似たようなことができたでしょう。

そして、あらゆる分野で活用可能な営業スキルを、当時世界中が注目していたITの分野に向けたことこそが、あっという間に上場にこぎつけた大きな要因でしょう。

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