ガレージから世界へ――Googleの創業エピソード

ガレージから世界へ――Googleの創業エピソード

今や世界中で様々なサービスを展開し、私たちの生活に欠かせない企業となっているGoogle。もともとは検索エンジンとしてスタートした企業ですが、Googleが現在の地位を築くまでには、数々の挑戦と創意工夫がありました。今回はGoogleの創業秘話を掘り下げ、そのゼロイチストーリーを紐解いていきましょう。

Googleはどんな会社か

Googleは1998年に設立されたインターネット関連の多国籍企業であり、その中核事業は検索エンジンです。

現在ではYouTube、Gmail、Google Mapsなど、幅広いサービスを提供しています。また、スマートフォン用OS「Android」の開発や、自動運転技術の研究を行うなど、テクノロジー分野での革新を続けています。

その企業ミッションは「世界中の情報を整理し、誰でもアクセスできて使えるようにすること」です。

Googleの創業者

Googleを創業したのは、スタンフォード大学の博士課程に在籍していたラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンです。

2人は学問的な興味から「大量の情報を効率的に整理する」方法を模索していました。どちらも数学やコンピュータ科学に秀でており、その知識と情熱がGoogleの誕生につながります。

ラリー・ペイジ

ラリー・ペイジ(本名:ローレンス・エドワード・“ラリー”・ペイジ)は、1973年3月26日にアメリカ・ミシガン州で生まれました。

父カール・ビクターはミシガン州立大学(Michigan State University)計算機科学・人工知能教授、母グロリアはユダヤ人で、彼女もミシガン州立大学でコンピュータプログラミングの教師をしています。この家庭環境が、ペイジのコンピュータやテクノロジーへの興味を早期に育むこととなりました。

6歳の頃からコンピュータを触り始めたペイジは、身の回りのものを分解して仕組みを理解しようとする好奇心旺盛な少年でした。

ミシガン大学で計算機工学を専攻し、1995年に学士(計算機工学)号を取得。卒業後、スタンフォード大学計算機科学の博士課程に進学し、テリー・ウィノグラードの指導の下、ウェブのリンク構造、人間とコンピュータの相互作用、検索エンジン、情報アクセスインタフェースの拡張性、個人的なデータのデータマイニング手法などを研究しました。

セルゲイ・ブリン

セルゲイ・ブリン(本名:セルゲイ・ミハイロヴィッチ・ブリン)は、1973年8月21日にソビエト連邦モスクワに住む東欧系ユダヤ人の家庭に生まれました。

彼の一家はユダヤ人で、父ミハイルはソ連のゴスプラン経済研究所で働く数学者でその後米国に渡りメリーランド大学の数学教授、母エヴゲーニャはアメリカ航空宇宙局(NASA)の研究員。

当時のソ連ではユダヤ人への差別や抑圧があったため、1979年にアメリカへ移住しました。1979年、6歳の頃、当時のユダヤ人への差別や抑圧があったソ連から家族でアメリカ合衆国へ移住し、ロシア語と英語のバイリンガルになりました。

アメリカで育ったブリンは、数学とコンピュータ科学に強い関心を持つようになります。高校時代には数学オリンピックで優秀な成績を収め、メリーランド大学に進学。コンピュータ科学と数学の学士号を取得した後、スタンフォード大学の博士課程に進みました。

Googleはどうやって生まれたのか

2人の出会いと共同研究

ラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンが出会ったのは、スタンフォード大学のオリエンテーションの日でした。最初は議論が絶えない関係だったと言われていますが、次第にその議論が互いの興味を刺激するようになり、共同研究を始めるきっかけとなりました。

1996年、ペイジは「ウェブのリンク構造を分析して情報の重要度を評価する」という研究テーマを立ち上げ、ブリンもこれに加わりました。この研究が後に「PageRank」と呼ばれるアルゴリズムの基礎となり、彼らはウェブ上の膨大な情報を効率的に整理する方法を模索するようになります。

プロトタイプの誕生

1996年、ペイジとブリンは「BackRub」という名前で検索エンジンのプロトタイプを開発しました。この名前はウェブの「リンク(backlink)」を分析するアルゴリズムに由来しています。

「BackRub」は、スタンフォード大学のネットワーク内でテストされ、すぐに注目を集めました。この成功を受けて、1997年には「Google」と名前を変更し、より大きな目標に向かって動き出します。

「Google」という名前は、数学用語「googol(10の100乗)」をもじったもので、莫大な情報量を提供する検索エンジンを象徴しています。この名前はタイポ(スペルミス)から生まれたものでしたが、結果的に世界的なブランド名となりました。

創業資金をどうやって用意したのか

Googleが成功を収めるためには、優れたアイデアや技術だけではなく、初期段階の資金調達が不可欠でした。ラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンは資金をどのように集めたのでしょうか?この項では、彼らの資金調達のプロセスを詳しく見ていきましょう。

天才的アイデアを支えたエンジェル投資家

Googleが最初に大きな資金を得たのは、サン・マイクロシステムズの共同創業者であるアンディ・ベクトルシャイム(Andy Bechtolsheim)からの投資でした。

1998年、彼は早朝に行われたペイジとブリンの「PageRank」に基づく検索エンジンのデモンストレーションを見て、即座にその可能性を見抜きました。そして詳細なビジネスプランの提示を待つことなく、数分後には10万ドルの小切手を手渡しました。

この小切手がGoogleにとって最初の大きな資金であり、その後の成長の基盤となります。ただし、この時点ではGoogleは法人化していなかったため、すぐには現金化できず、法人化を急ぐことになりました。

会社組織としてのGoogleの拠点は、カリフォルニア州メンローパークの、ペイジらの友人スーザン・ウォシッキーが所有するガレージでした。

家族や知人の支援

ペイジとブリンはスタンフォード大学の同窓生や教授など、親しい関係者からも資金を調達しました。

例えば、スタンフォード大学の教授であり投資家でもあったデビッド・シェリトン、Amazon.com創業者ジェフ・ベゾス、起業家ラム・シュリラムの3人は初期資金の提供者としてよく知られています。

これらの支援は、単なる資金提供にとどまらず、アドバイスやビジネスネットワークの提供といった形でもGoogleをサポートしました。特にスタンフォード大学内での人脈が、資金調達の効率化に寄与しました。

投資家への説得術

初期段階で重要だったのは、アイデアそのものの説得力です。

ペイジとブリンは「検索エンジン市場は未開拓であり、膨大な情報を効率的に整理するツールの需要は今後ますます高まる」と強調しました。また、既存の検索エンジンが広告収益を主な収益源としていた中で、Googleはより良い検索結果を提供することで市場を席巻できると主張しました。

彼らは技術的な話だけでなく、ユーザーの体験を向上させることがいかに重要かを投資家に説明しました。この明確なビジョンが、資金提供者たちの心を動かし、リスクを取ってでも投資を行う理由となったのです。

ベンチャーキャピタルからの追加資金調達

Googleは初期のエンジェル投資を元手に技術開発を進めましたが、さらなる成長にはより大きな資金が必要でした。

そこで、1999年にベンチャーキャピタルのセコイア・キャピタル(Sequoia Capital)とクライナー・パーキンス(Kleiner Perkins)からそれぞれ1250万ドルの出資を受けることに成功します。この資金は、インフラの拡充や人材の確保に充てられました。

この段階では、Googleのビジョンがより明確になり、収益モデルも徐々に確立し始めていました。そのため、ベンチャーキャピタルの投資家たちにとっても魅力的な案件となり、資金調達は順調に進みました。

成功への道のりと教訓

Googleはユーザー体験を最優先に考える姿勢を持っていました。当時Googleの社是として掲げられていた「邪悪になるな (Don’t be evil.)」は有名なスローガンです。(2015年にAlphabet設立後、このフレーズは「正しいことをする(Do the right thing)」に変更されています。)

その結果、競合する検索エンジンを圧倒するシンプルで高速なサービスを提供することができました。また、創業者たちは技術革新を重視し、収益モデルの確立よりも優れたプロダクトを作ることに注力しました。

この姿勢が、今日のGoogleを築く礎となりました。

まとめ

小さなガレージで2人の大学生が立ち上げたことから、まるで持たざる者のゼロイチ成功例かのように語られることもあるGoogleですが、その実態は親の代からのスーパーエリートによる起業です。

幼少期からコンピュータや数学といったGoogleの礎ともいえる学術や技術に触れ、アメリカでも有数の大学に進学し、博士課程まで進み…。そうした人生を送る中で、大学教授や起業家といった彼らの成功を支援してくれる人々との出会いにも恵まれました。

正直、私自身もうちょっと身近なストーリーを想像していたので、これでもかというレベルの、絵に描いたようなエリートストーリーの連打に面食らっています。

ゼロエピでは私たち起業家のヒントやきっかけになればと、創業ストーリーを集めているのですが、やはりこのレベルの成功は1代だけで築き上げられるものではないのでしょう。それも1つの学びとして、今回は締めたいと思います。

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