現代のYouTube界において、数多くのクリエイターの中でも群を抜く存在―はじめしゃちょー。彼は、独自の視点と果敢な挑戦で、オンラインエンターテインメントの新たな地平を切り拓きました。
本記事では、はじめしゃちょーがどのような人物であり、どのような背景や挑戦を乗り越えて現在の地位を築いたのか、その軌跡をご紹介します。
はじめしゃちょーとは
はじめしゃちょーこと、江田元(えだ はじめ)は、YouTubeを舞台にした日本のトップクリエイターのひとりです。斬新な企画、ユニークなチャレンジ、そして時に笑いあり、感動ありのコンテンツを提供する彼は、若者を中心に圧倒的な支持を受けています。
生い立ち
はじめしゃちょーは1993年2月14日、富山県砺波市に生まれました。中高生の頃は生徒会で副会長を務めたことがあるものの、学校では「グループ内の端っこにいるタイプだった」と語っています。
高校時代はバスケットボール部の活動に打ち込み、成績はあまり優秀ではありませんでした。この頃から動画を撮るのは好きで、友人と遊び「ズボンを穿いたままパンツを脱ぐ動画」などを撮影していました。
はじめしゃちょーの幼少期や子供の頃の話はこれくらいしか出回っておらず、本人もそういった話はあまりしないことから、地元には特に思い入れがない、あるいは語りたくない嫌な思い出があるのかもしれません。はじめしゃちょーのことは知っていても、富山出身なことを知らない人も多いのではないでしょうか。
Youtubeで動画投稿をはじめたきっかけ
進路についてはあまり考えていませんでしたが、当時交際していた恋人が推薦入学で国立・茨城大学への進学を決め、特に進路を決めていなかったはじめしゃちょーは、恋人と一緒の大学に行きたいという思いから1日10時間もの猛勉強に打ち込み、模試では校内1位を出すほどになりました。
しかし、大学入試センター試験(現在の共通テスト)本番では模試より150点低い点数を出してしまい、高校教員からの薦めで第一志望ではなかった静岡大学に進学。
結局恋人と別々の、しかも地理的に離れた大学に進むことになり、その後、破局を迎えます。恋人と別れたことをきっかけに、「自分のために何かをしよう」という思いで大学1年生の春休みに友人とYouTubeへの動画投稿を始めました。
はじめカンパニー
2012年3月、大学の同級生と動画チーム「はじめカンパニー」を結成、YouTubeへ動画投稿を開始します。初めて投稿した動画の再生回数は12回でした。その後個人チャンネルを開設し、名前を「はじめ社長」から「はじめしゃちょー」へ改名。
2013年9月から2014年3月までイギリス(EFオックスフォード校)へ語学留学、帰国後の2014年4月1日にUUUMへの所属を発表しました。留学中は帰国後にすぐ撮影へ入れるよう、動画のネタをひたすら考えていたという話もあります。
はじめしゃちょーはどういう経緯で人気Youtuberになったのか
動画投稿の継続
帰国後は動画投稿を続け、チャンネルが徐々に軌道に乗り始めます。視聴者が増えるにつれ、批判的なコメントもくるようになりますが、はじめしゃちょーはめげずに投稿を続けます。
2015年6月、YouTube JapanのテレビCM「好きなことで、生きていく」に出演。これに伴い『週刊少年ジャンプ』や渋谷109に全面広告が掲載されるなど、YouTube以外の媒体での出演も増加します。
この時、テレビCMの撮影日と大学の教育実習の日程が重なり、悩み抜いた末「人生は一度きりだからおもしろい方に行こう」と動画の世界で生きていくことを決めたと語っています。
登録者数日本一
2016年3月、静岡大学教育学部を卒業。同時にこの時期に、Youtubeでの登録者数日本一を達成します。
実験やドッキリなどエンタメ路線の企画が多いはじめしゃちょーですが、チャンネル内だけでなく、リアルでもイベントを実施。横浜市で開催しただるまさんが転んだイベントには740名もの参加者が集まり、ギネス記録にも認定されました。
Youtube内で登録者日本一を達成してもそれに満足せず、こうしたリアルでのイベントも絡めて知名度の向上を図り続けたストイックさもまた、はじめしゃちょーの成功要因の1つかもしれません。
有料ファンサイト「はじメーノ」
2017年2月、有料ファンサイトである「はじメーノ」を開設。当時はYoutuberという職業の知名度は日本国内にも普及しはじめていましたが、Youtubeパートナープログラムの広告収入が主流であり、有料会員プラン(今で言えばサブスクリプションモデル)は、まだ一般的ではありませんでした。
そのためファンから直接収入を得るこのモデルは賛否を呼びました。ちなみにこの時の設定金額は入会金:1,080円(税込)/年会費:3,888円(税込) です。
個人的に、このあたりがYoutuberの大きな転換点で、それまでYoutuberは多数の登録者数と再生数を誇る有名人でありつつも、そのビジネスモデルは母体であるYoutubeに依存し、Youtuber自体がビジネスを展開しているわけではありませんでした。
しかしこのサブスクリプションモデルは「はじめしゃちょー」個人が保有するビジネスであり、たとえYoutubeがパートナープログラムを停止したり、極端な話Youtube自体がなくなったとしても(もちろん痛手ではありますが)、なんらかの動画投稿サービスが存在する限り、はじめしゃちょーはファンから直接収入を得ることができる構造を構築したといえます。
はじめしゃちょーの躍進
その後もはじめしゃちょーの活動は勢いを増し、2020年11月、静岡から東京に拠点を移す事を公表。同月、「はじめしゃちょー2」にて、YouTubeやアニメ運営会社と正式にライセンスを取得し、進撃の巨人のテレビアニメ版の実況解説動画を投稿。
2021年12月、登録者数1000万人を達成し、YouTubeでいわゆる「投げ銭」機能にあたるスーパーチャットを解禁。登録者数1000万人は、マルチクリエイター型のYouTuberとしては、国内では9月に1000万人を突破したHIKAKINに続き、個人では2人目。
2023年9月には、はじめしゃちょーメインチャンネル単独で総再生数が100億を突破しました。
はじめしゃちょーは、創業資金をどうやって用意したのか
はじめしゃちょーもまたYoutuberであり、創業資金はこれといって必要としませんでした。大学時代、「仕送りもらってる分際で何してんだ」などの批判もありましたが、週6でバイトをし、撮影等の資金は自力で調達していたと後に語っています。
※もちろんこの批判には一理あり、国立大学は優秀な人材を育てるために公費が投入されている機関であり、余暇時間があるなら勉強や研究に充てるのが筋であり、個人でYoutube活動に勤しむのは学生の本分ではない、というのはまっとうな意見ではあります。
個人的にはじめしゃちょーのチャンネル(というかYoutuber全般)にはそれほど詳しくはないのですが、小道具を使った動画も多く、一括ではないにしろ、ある程度経費をかけている部類のチャンネルと認識していますが、あくまで都度の出費であり、最初にまとまった資金を必要としなかったのは、まさに現代型ビジネスらしい一面です。
まとめ
はじめしゃちょーもまた、ゆとり世代を代表する成功者の1人ですが、ヒカキンと生まれが数年違うことに加え、大卒のため、はじめしゃちょーの卒業年は2016年と、景気が回復に向かっていた最中という点で大きく環境が異なります。
当時は就職環境も良かったため、専業としてYoutuberになるにはいささか失うものも大きかったかもしれませんが、大学卒業時にはYoutube登録者数日本一になっており、在学中にはほぼ軌道に乗っていたといえます。
※そうはいっても当時Youtuberはまだようやく一般認知され始めた段階であり、このタイミングでYoutubeに賭けて専業になるのはそれなりに勇気のいる決断だったはずです。
はじめしゃちょーは最初からチームを組んでチャンネルを開設するコミュニケーション能力と人望があった人物ですが、その熱意はYoutubeに向けられました。現代ではこうした元手のかからないことに注力し、当たった場合に専業化するというのがやはり王道なのでしょう。
また、Youtubeというアメリカ企業が用意したひな形の中で活動しているため、自ら国産のビジネスを起こしたヒルズ族と違い、老害から見てわけのわからないことをやっていても、不当に目を付けられて潰されることがない、という点もポイントなのかもしれません。
炎上によって知名度を稼いだ人物でもあり、PCを天ぷらにするなどモラルに反する動画をいくつも上げています。これについてはある程度意図的に炎上を狙った部分もあると推測します。
その善悪は置いておくとして、「悪名は無名に勝る」のが厳然たる事実であり、持たざる者として生まれた我々が人権を獲得するにはこの程度の覚悟は必要なのでしょう。あなたが鳩山家の嫡男や、麻生グループの跡取り息子なら話は別ですが。