カレーハウスCoCo壱番屋の創業エピソード――極貧から日本一のカレー店へ

カレーハウスCoCo壱番屋の創業エピソード――極貧から日本一のカレー店へ

黄色い看板でおなじみの「カレーハウスCoCo壱番屋」(通称ココイチ)。その発祥には、一組の夫婦によるゼロからの挑戦と感動的なエピソードがあります。本記事では、CoCo壱番屋の創業秘話と同社の魅力、そしてそこから学べる教訓についてご紹介します。

壱番屋はどんな会社か?

株式会社壱番屋は、カレー専門店「カレーハウスCoCo壱番屋」を全国展開する外食企業です。1978年に愛知県で創業し、現在の店舗数は海外も含め約1500店舗、ギネス記録認定の世界最大のカレーチェーンです。

国内では全47都道府県すべてに展開。海外にもアジアや欧米を中心に進出し、12の国と地域で店舗を展開。飲食店の半数が2年以内に潰れる時代において、CoCo壱はなんと約90%もの店舗生存率を誇ります。

主力ブランドである「カレーハウスCoCo壱番屋」は、お客様がご飯の量・辛さ・トッピングを自由に選べるカレーを提供しており、そのオーダーメイド感覚が人気の秘訣です。

真心こめた接客と、毎日食べても飽きない親しみやすい味わいのカレーを提供することを理念に掲げており、老若男女問わず幅広い層に親しまれています。

CoCo壱番屋の創業者:宗次徳二

生い立ち

CoCo壱番屋の創業者である宗次徳二は1948年、石川県に生まれたとされていますが、両親は不明。生後まもなく兵庫県尼崎市の孤児院に預けられ、3歳のときに雑貨商・宗次福松、清子夫婦の養子となりました。

養父は日雇い労働のうえ競輪やパチンコなどのギャンブル好きで生活が不安定だったことから、養父に愛想を尽かした養母が失踪。8歳のときに居場所が判明した養母を頼り、養母が住む名古屋市の四畳半のアパートに家族3人で住むことになりましたが、養母はすぐに家を出てしまいます。

養父と2人での極貧生活では、電気や水道を引くこともできず、明かりはろうそく、雑草を抜いて食べるほど困窮していました。

15歳まで生活保護を受け、岡山県玉野市など各地の廃屋を転々として、パチンコ店で零れ玉(こぼれだま)やシケモク(煙草の吸殻)を集めるなどして生計を助けていました。吸殻を拾わなかったり、掃除を怠ると、養父から全裸にされ箒で殴られるなど虐待を受けたといいます。

15歳のときに養父が胃癌のため死去。以降は養母と同居するようになります。朝5時半の始発電車に乗り、登校前に同級生の父が経営する豆腐屋でアルバイトしながら学費、生活費などを稼ぎ、1967年(昭和42年)3月に愛知県立小牧高等学校商業科を卒業しています。

飲食店の開業

高校卒業後は不動産業の八洲開発に入社。1970年(昭和45年)2月に大和ハウス工業名古屋支店に転職後、同僚の直美と結婚。結婚2年後に独立し、1973年(昭和48年)に自宅1階に不動産仲介会社の岩倉沿線土地を開業しました。

しかし徳二は、不動産業の収入が不安定で手応えに欠けると感じていました。妻と相談し、1974年、名古屋市西区に小さな喫茶店「バッカス」を夫婦で開業。

立地は良くなく、コーヒーの淹れ方を学んだのも1か月に満たないなど、不安要素だらけでしたが、オープン初日から開店10分もしないうちに人が集まり、不動産とは違う世界に面白みを感じるとともに、喫茶店が天職であると確信し、不動産業からの撤退を決意します。

カレーハウスCoCo壱番屋誕生の経緯

カレーハウスCoCo壱番屋の開業

夫妻が営む喫茶店バッカスは順調に軌道に乗り、1975年には2号店となる喫茶店「浮野亭(うきのてい)」を開業。この2号店で提供していた妻・直美さん手作りのカレーライスが予想外に人気を呼び、夫婦は「カレー専門店にしてみてはどうか」と考えるようになります。

この時に徳二は一度東京へ視察へ行っていますが、他の店のスタイルは性に合わず、また、味も自分たちの店が一番だ、と自信を深めています。

当時、名古屋の喫茶店文化ではモーニングサービス(コーヒー代のみでトーストや卵を提供するサービス)が花盛りでしたが、バッカスではあえてモーニングを付けず、代わりにカレーなど独自色のあるメニューで勝負していました。

お客様のニーズを現場でつかんでいた徳二は、「好きな量のご飯と辛さで、自分好みのカレーを食べられたら喜ばれるのではないか」と直感し、このアイデアを具体化することにします。

こうして1978年1月、愛知県西春日井郡西枇杷島町(現在の清須市)に記念すべき「カレーハウスCoCo壱番屋」1号店が誕生しました。

オープン当初からお客様自身で辛さ・量・トッピングを選べるスタイルを採用したところ大好評となり、地元で話題の店となりました。

カレー専門店への集中

しかし、創業当初は順風満帆というわけではありませんでした。新業態への挑戦は手探りで、資金繰りも決して楽ではありませんでした。CoCo壱番屋1号店開業から約10か月後、宗次氏は思い切ってそれまで営んでいた2つの喫茶店事業をすべて手放し、経営資源をカレー専門店に集中させました。

それでも当初しばらくは売上が安定せず、自転車操業の状態で、銀行から借りたお金の返済に店の売上金や手元の小銭をかき集めて充てるような苦労の日々もあったと振り返っています。

実際、創業間もない頃は毎月の融資返済に追われ、「店のレジの小銭まで掻き集めて何とか支払った」こともあったといいます。そうした苦境の中でも夫妻は決して諦めず、来店するお客様一人ひとりに真摯に向き合って店のファンを増やしていきました。

CoCo壱の躍進

「他店にないサービスで勝負しよう」と考案したカレーのカスタマイズ制はまさに功を奏し、一度来たお客様がリピーターとなって徐々に常連客が増えていきます。

やがて評判が口コミで広がり、CoCo壱番屋の事業は少しずつ軌道に乗り始めました。開業から4年後の1982年には売上が3億円を超えるまでに成長し、徳二は株式会社壱番屋を設立。代表取締役社長に就任しました。

その後はフランチャイズ展開などで店舗網を拡大し、1988年に100店舗、1994年には300店舗を突破して全国制覇を果たしました。

ゼロから始まった夫婦の小さなカレー店は、このようにして日本を代表する巨大チェーンへと発展していったのです。

ブルームシステム

CoCo壱の躍進を支えたのがブルームシステムです。これはCoCo壱独自の独立システムで、一定以上のスキルと勤務期間を経た社員には独立の権利が与えられるというもの。

よくあるフランチャイズと異なり、独立したオーナーは本部にロイヤリティを収める必要はなく、代わりにカレーソースなどを本部から仕入れてもらうことで壱番屋の利益を確保しています。

また、「一定以上のスキル」は名札の色によって一般客にもわかるようになっており、

  • スター:金よりさらに上級者
  • 金:その地区数店舗を運営できるだけの能力がある
  • 銀:店舗の運営を任せることができる
  • 青:金・銀バッチの人間の補佐として十分に信頼できる
  • 黄:基本的な仕事がひととおりできる
  • 白:研修生

このうち銀バッヂ以上がブルームシステムによる独立の条件となっています。また、独立の際は夫婦専業を基本としています。

創業資金をどうやって用意したのか

バッカス開業時から宗次夫妻は銀行から融資を受けて店舗を運営していました。

当初は自己資金も限られていたため、事業を軌道に乗せるまで毎月の返済に苦労しつつも、「返せない借金はしない」という堅実な姿勢でなんとか乗り切っていきました。CoCo壱番屋創業後も追加の資金が必要になりましたが、その際には地元の信用金庫から100万円の融資を受けて対応しました。

驚くべきことに、徳二はその借入金のうち20万円を地元の社会福祉協議会や町役場に匿名で寄付したといいます。

事業で手一杯のはずの創業期においても、地域への感謝を忘れず、銀行からの借入を上手に活用すると同時に、できる限り無駄を省いた経営努力で返済を続け、事業拡大の原資を確保していきました。

まとめ

徳二さんは「経営が趣味」と公言し、派手な暮らしとは無縁で倹約家、一切の寄り道をせず本業に没頭しました。社交的な妻とは対照的に、引退するまで友人を1人も作らず、3、4時間の睡眠時間で、仕事に専念したといいます。

毎日早朝4時45分に出社し、1000通以上の「お客様アンケート」を読み、店舗の掃除を行なうのが日課でした。休みは年間15日ほど、年間5,637時間(1日平均約15.5時間)働いたこともあったという仕事人間でしたが、引退後は経営に一切口出しをせず、すっぱり後継者に任せています。

このようにCoCo壱番屋の創業には、創業者である宗次徳二さんの勤勉さや継続力、身体の強さといった要素はもちろんのこと、妻・直美さんの存在が大きなものでした。CoCo壱が独立の際に夫婦専業を基本としているのも、「夫婦二人で作り上げてきた」という想いがあるからこそでしょう。

※正直ビジネス的にはフランチャイズは夫婦でやってもらった方が逃げづらい、というのはありますが、CoCo壱に限ってはそれだけが理由ではないと思います。

CoCo壱は徳二さんが事業計画を、直美さんが社員教育や資金繰りという役割分担で、夫婦二人三脚で作り上げたビジネスです。

また、CoCo壱の特徴として、徳二さん自身「CoCo壱は超がつくほどの現場主義」と語っており、徳二さん自身が毎朝「お客様アンケート」を読んだり、店舗の掃除を行っていたことにもそれが表れています。

この創業エピソードからは「好きなことに情熱を注ぎ、お客様を大切にする」ことの大切さを改めて感じ取ることができます。温かな接客と美味しいカレーで笑顔を生み出すCoCo壱番屋。今後も長く発展していってほしいものです。

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