ファッション界における不朽のアイコン、ラルフ・ローレン。その名を冠したブランドは、洗練されたデザインと上質なライフスタイルの象徴として世界中に知られています。しかし、その華やかな表舞台の裏側には、決して楽な道ではなかった創業者の苦闘と挑戦、そして情熱が息づいていました。
本記事では、ラルフ・ローレンがどのような会社で、どんな人物によって、どんな経緯で生み出され、創業資金をどのように確保していったのか、その軌跡に迫ります。
ラルフ・ローレンとはどんな会社か
ラルフ・ローレンは、1967年に誕生したアメリカ発のファッションブランドです。当初は革新的なネクタイのデザインで注目を集め、その後、メンズウェア、レディースウェア、アクセサリー、ホームグッズなど多岐にわたる商品ラインを展開。
ブランドの象徴ともいえる「ポロプレイヤー」のロゴは、上流階級の洗練されたライフスタイルとステータスを表現し、消費者に夢と憧れを与え続けています。
時代の変化に柔軟に対応しながらも、伝統と革新を併せ持つ経営戦略で、今日も世界中のファッションファンに愛される存在となっています。
ラルフ・ローレンの創業者
幼少期と生い立ち
ラルフ・ローレン(出生名:ラルフ・ルーベン・リフシッツ)は、1939年にニューヨーク・ブロンクスで生まれました。両親は家屋の修繕やペンキ塗りに従事する労働者で、裕福とは程遠い家庭環境に育ちました。
ユダヤ系移民の家庭で、特に母親は熱心なユダヤ教徒であり、家庭内には厳格な価値観が根付いていました。赤レンガの慎ましいアパートでの生活は、物質的な豊かさはとは無縁でした。
幼少期の試練と自己革新の始まり
学校ではその出自やファミリーネームが原因でいじめを受けました。この頃のラルフは辛いことがあるたびにデザインに没頭し、自分の世界に入り込んでいたといいます。
ラルフは上流階級の大学生が着るような服装を好み、音楽はロックンロール全盛だったこの時代に、バラード曲の多いフランクシナトラを好んで聞いていました。
子供も頃の夢はスポーツ選手で、特にバスケットボールに打ち込みました。この頃のラルフはファッションデザイナーという職業について考えたこともなく、自分が将来デザイナーになるなど思いもよらなかったと述懐しています。
高校時代の卒業アルバムには「億万長者」と記しており、このことからも彼が将来の進路をあまり具体的に考えていなかったこと、そして野心の大きさが見てとれます。
青年期・就職
高校卒業後、ラルフはニューヨーク市立大学に進学してビジネスを学んだものの、2年で中退。その後は高級ファッション企業のブルックス・ブラザーズで販売アシスタントとして働き、1962年から1964年までアメリカ陸軍に勤務します。
この頃のアメリカは徴兵制をとっており、若年男子には従軍期間が義務付けられていたためです。除隊後はマイヤーズ・メイク・インクという手袋製造会社で営業を経験、その後ネクタイ会社リヴェッツへ転職しセールスマンとして勤務します。
1960年代、まだネクタイのデザイナーという仕事はなく、形も巾も同じ、素材や模様も季節ごとにオーソドックスなものを織物業者が選ぶ程度でした。
そんな時代にラルフは極端に幅広でカラフルなネクタイを提案。この斬新な提案を当時リヴェッツの社長であったメル・クリードマンは一蹴。そもそも営業マンであったラルフの、従来の枠を超えたデザインは、業界内では「素人じみた奇抜な提案」として受け止められました。
ラルフ・ローレンはどういう経緯で生まれたのか
「ポロ」ブランドの立ち上げ
ラルフが28歳のとき、ネクタイ製造会社ボー・ブランメルの経営者、ネッドブラウワーがラルフのネクタイに興味を持ちます。ラルフはボー・ブランメルに転職すると、新しく開設した部門を任され、「ポロ」ブランドを立ち上げます。
「ポロ」という名前は、馬に乗って行う団体球技の「ポロ」というスポーツから取っており、富裕層のスポーツであったポロのイメージは、ラルフが自分のネクタイに与えたいイメージとマッチしたためです。
この頃からラルフのビジネスマンとしての才覚が目立ってきます。ラルフはアイビーリーグ(アメリカの8つの私立大学の総称)やパークアベニューのような上流階級をネクタイのターゲット層に定めており、高級ブランド路線を目指しました。
富裕層に向けたブランドであれば高値で売ることができますし、いつの時代も新しく斬新なものに手を出すのは、金銭的に余裕のある富裕層です。さらに、富裕層へのマーケティングが成功すれば、中間層以下にとっても「憧れのブランド」となって価値を確立できます。
こうしたビジネス的な視点が強かったラルフは、ファッションデザイナーというよりもセールスマンやマーケターの面が強く、メディアで取り上げられる際もプロデューサーとして紹介されることも多い人物です。
ラルフ・ローレン・コーポレーションの設立
同年、ラルフはボー・ブランメル社を離れ、男性用ネクタイを扱うラルフ・ローレン・コーポレーションを設立します。1968年に初のメンズウェアのフルラインを「ポロ」と名付け、エンパイアステートビルのショールームの「引き出し」1つで仕事をし、自ら店舗に商品を配達しました。
1970年、ラルフ・ローレンは「コティ賞」を受賞。これはファッション界のアカデミー賞と称され、アメリカのファッション界では最も権威があるとされている賞です。
ポロブランドの売上・利益は順調に伸びていき、1970年度には売上240万ドル(利益21万ドル)、1971年度は売上340万ドル(利益29万9000ドル)に達します。
ラルフ・ローレン社は女性用のテーラードシャツのラインを立ち上げ、シャツの袖口にポロ選手のエンブレムを初めて世界に紹介しました。このエンブレムは女性にとっての新たなステータスシンボルとなり、ラルフのシャツは当時他社に比べ10ドルも高かったにもかからわず好評でした。
1971年、初の女性用フルコレクションが発表され、ローレンはカリフォルニア州ビバリーヒルズのロデオドライブに店舗をオープンします。これはアメリカ人デザイナーによる初の独立店舗でした。
ラルフ・ローレンの倒産危機
ラルフ・ローレンのポロファッションズは富裕層向けに高級ブランドのファッションを提供する会社として順調に見えましたが、その実態は実は危機に瀕していました。
1972年度、売上が800万ドルまで伸びたにもかからわず、利益は前年比で1万ドルも減っており、さらに会社の純資産総額は担保や確定している税金を支払うとマイナスの状態でした。
このような状態にもかかわらず、財務を別の人間に任せていたこともあり、ラルフは自社が倒産寸前であることにギリギリまで気付いていませんでした。
ラルフは売ることには天才的な才能を発揮しましたが、製造や梱包・発送といった業務の全体像を俯瞰することができず、経費込みの採算を考えていなかったラルフ・ローレンは売上は上がれど利益が出ていない状態だったのです。
デイブ・ゴールドバーグの財務戦略
ラルフ・ローレン社の財務を担当していたデイブ・ゴールドバーグは、同社が生き残るために4つの方法を提案しました。
- 金のかかるレディースのラインをライセンス契約として外部に売ってしまう
- 増資
- 当時ラルフのスーツを製造していたグライフ&ブロス社に、借金の返済を繰り延べしてもらうようお願いする
- 創業時から借り入れのあるノーマン・ヒルトンへの支払い期日を伸ばしてもらうようお願いする
ラルフはまず、レディースラインの権利を25万ドルと売り上げの5%~7%の取り分で10年間、スチュワート・クライスラーに売却します。
さらにノーマン・ヒルトンとの交渉も無事成功し、1941年1月、チャップスコレクションのライセンスをグライフ&ブロスのジェネスコ部門に1億ドルで売却。
グライフ&ブロスはラルフ・ローレンの最大の債権者であり、グライフにとって当時波に乗っていたポロファッションズを倒産させるよりも、ライセンスを買って生きながらえさせた方が有利だと考えました。
こうした財務面での努力の結果、ポロファッションズは採算ベースに乗り、反物屋などへの支払いが遅れることもなくなり、信頼を回復させていきます。
1974年度の売上は約500万ドル、利益は約20万ドルでした。
こうしてしっかり手元にお金が残るようになったラルフ・ローレンは、この後も有名俳優の衣装デザインを手掛けたり、1976年には再びコティ賞を受賞するとともにメンズウェアで殿堂入りを果たし、日本でも西武百貨店とのライセンス契約を通して販売を始めるなど、世界的ブランドへと成長を遂げていきます。
創業資金をどうやって用意したのか
リヴェッツを離れ自身のブランドを立ち上げる際、ラルフは自分の構想に理解を示してくれたネッド・ブラウワーのもとで、ボー・ブランメルの新たな部門としてポロブランドを立ち上げています。
いきなり自分の店を持つのではなく、まずは既に資金や生産設備を持った会社の企業内起業として、自分のブランドを立ち上げました。
これがヒットしたラルフは、ノーマン・ヒルトンから5万ドルの支援を受けて、自分の会社であるラルフ・ローレン・コーポレーションを設立しています。
わずか1年足らずの間にブランドの設立と製造・販売、そしてパトロンとの接点の形成まで成し遂げたラルフ・ローレンのスピード感は当時では考えられないほど速く、ここにもビジネスマンとしての手腕が見てとれます。
まとめ
ラルフ・ローレンの創業エピソードは、ただのファッションブランドの立ち上げ話ではありません。一人の情熱的な起業家が、既存の枠組みを打ち破り、革新的なアイディアと大胆な戦略で苦境を乗り越え、世界中にその名を轟かせるまでのサクセスストーリーです。
厳しい環境の中で培われた独自の感性と、初期の資金調達に成功したエピソードは、現代の起業家にとっても大いに参考となるでしょう。今後もラルフ・ローレンは、その歴史と伝統を背負いながら、新たな挑戦と進化を続け、ファッション界に輝きを放ち続けるに違いありません。